ないしょばなし

 水曜日の朝方に出航する為、火曜日の夕方にはアサギシティの港に停泊しているアクア号。船員の殆どは下船しており、各々、ポケモンセンターやホテルで体を休めていた。今、このアクア号に乗船しているのは、船の責任者であるマチスとそのポケモンたちだけである。

 マチスは翌朝の出航に備え、航路の確認や気象のチェックを行う為に残っていた。船長室には、彼の操作するキーボードの音だけが響いている。机に向かっているマチスの横では、彼のライチュウが所在無げに待機している。

 ふと、ライチュウの耳が遠くの方で鳴る音を拾い上げた。ぴくりと反応した耳に、マチスはまだ気付いていない。船の外の、それより遠くから聞こえる、低く鳴り響く破裂音。それは一度では無く、二度、三度と続いている。聞こえる度、ライチュウは正確に音を拾い上げ耳を揺らした。

 何の音だろうか、気になったライチュウはマチスを見遣るも、彼の視線は相変わらずデスクトップに向いておりライチュウに気付く様子は無い。抑えきれず、ライチュウはマチスの服の裾を引っ張り彼の名を呼んだ。

「……あン? どうしたライチュウ、なんかあったか?」

 ライチュウは彼の服の裾を引いたまま、部屋のドアを指しマチスに外へ行こうと提案してみせた。そんなライチュウの様子に首を傾げつつ、マチスは一つ息を吐いて立ち上がる。仕事も一区切りついたところだ、船内の見回りついでにライチュウに付き合ってやるとしよう。

 船内の狭い通路を駆けるライチュウは、どうやら甲板に向かっているようだった。急かすように振り向くライチュウに「わーったよ」、と適当に返事を返しつつ、マチスは大股でその後を追う。外に近付くにつれ、マチスの耳にも乾いた破裂音が聞こえてきた。その音の正体は、外に出ると直ぐに判明した。

「なんの音だ、こりゃあ」

 甲板に繋がるドアを開いた瞬間、マチスとライチュウの目にはタイミング良く広がる巨大な菊型の花火が映った。

「Awaysome! どっか祭でもやってんのか?」

 港町の暗い夜空には色とりどりの花火が綺麗に見えた。散り散りになった火の粉を消すように次々と光り咲き乱れる花火に、ライチュウは思わず感嘆の声を漏らす。

 マチスがポケギアで調べてみると、どうやら今日はキキョウシティの夏祭りらしい。アサギシティから距離はあるが、遮蔽物の無い海からはその花火が良く見えるようだった。どうやら、かがやきの灯台も今日は休みらしい。

夜空を見上げるマチスとライチュウの顔を照らしながら、橙色と黄色の花火が打ちあがる。思わぬ絶景に、マチスは思わず口角を上げ船首まで足を運んだ。手摺に肘を掛けると、手にしたままだったポケギアを操作し電話を掛ける。鳴り続くコール音をもどかしく思いつつ、マチスは目の前に広がる美しい花火を楽しんでいた。

「……もしもし、マツバです」

「おう、オレだ。なあ、今大丈夫か?」

「ああ、なにか用か?」

 電話口の相手――マツバにかける口調も、心成しかいつもより弾んでしまう。マチスは自分が思っている以上にこの花火に感動しているようだった。すっかり釘付けになっているライチュウの頭を軽く撫でながら、マチスはマツバと話し始めた。

「外見てみろよ、キキョウの方角だ」

「キキョウ? 分かった、今見てみ――ム、これは」

「な、凄ェだろ。っつーかお前、アサギより近ェってのに気付かなかったのかよ」

「いや、さっきまで瞑想していてな。花火か、久しぶりに見たな」

「ハー、相変わらずなこった」

 エンジュシティの方がキキョウシティに近いというのに、どうやらマツバは花火の音に気付いていなかったらしい。マチスが教えていなかったらこの花火も見る事はなかったのだろう。体勢を変え手摺に寄りかかりながら、マツバの様子にマチスは呆れたように笑った。

「今日はアサギか。そこからも見えるんだな」

「ああ、綺麗に見えるぜ。そっちはどうだ?」

「よく見えるな。どうやらオレの家は穴場らしい」

「そりゃあ良いな。機会があったら邪魔するぜ」

「フフ、勿論。歓迎するさ」

 マツバは障子戸に体を預け、水色に散る火花を見つめ柔らかな笑みを浮かべた。修行やポケモンジム、千里眼の依頼などで毎日を慌ただしく過ごしており、他にあまり目を向けられていない自分に気付いたのだ。わざわざ電話を掛けて教えてくれたマチスに、マツバは胸のあたりがじんと熱くなった。

「……ありがとう、マチス」

「あン? んだよ急に」

「言いたくなっただけさ。そうだ、たしか来月エンジュで花火大会があった筈だが」

「Sounds good! お誘いってワケか?」

「嫌か?」

「まさか」

 詳しい日程は後で調べて、また金曜日にでも話し合うとしよう。マチスの乗り気な様子に、マツバは静かに一息吐いた。  破裂音が鳴り止み、辺りには静けさが戻る。どうやら花火は全て打ち上げ終わったらしい。虫ポケモンの鳴き声が響く夜闇を見つめたまま、マチスとの電話はまだ暫く続くのだった。

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